Categories

Archives

Search

Links

2008/05Archive for

whatdoyouwannawear.png

以前、お茶を買いにコンビニへ向かう途中で、「企業戦士」と胸に書かれたTシャツを着た人とすれ違ったことがありました。

別にスーツ姿でもなく、ほんの少しだけ太り気味の体に、堅気ではないなと思わせるようなセルフレームの黒ブチメガネ。ボサボサの髪。そのいかにもだらしなさそうな雰囲気と「企業戦士」という文字のギャップに、思わず笑ってしまいました。

個人的に、いわゆる「バカTシャツ」「オモシロTシャツ」「ネタ系Tシャツ」の類は好きで、たまに自分も作ったり着たりしています。

もちろん自分によく似合ったカッコイイ服を着たいとも思います。でもそういうのが時々自分でなんか嫌だな、と思うことがあります。それはなんでなんだろうな、と考えたときに思い至ったのは、「カッコイイ服」は「自己主張」っぽいかな、ということ。自分が他の人よりもカッコイイ人だと思われたい、自分の評価を高めたいがための道具としての服に思えてしまう。もちろんそれはそれでいいと思うし、カッコイイ服をかっこよく着こなしている人には憧れたりもします。するのだけど……なんかちょっとな、と思うこともあるわけで。

「オモシロイ服」にももちろん自己主張はあります。でも、それは相手に「オモシロイ」と思われて初めて成り立つ主張で、だからちょっとだけ「おもてなし」に近い空気感がある。見た人の「笑い」だったり、「今日さ、こんな変な服着た人を見てさ」という話のネタになるためだったり。そういう「誰かのシアワセ」的なものにも意識が向いている感じ。そういうところを「いいな」って思うのかもしれません。

「オモシロイ」に限らず、たとえば混み合った電車で、自分の服に触れた他の人にとってさわった感じが心地いい、とか。職場のみんながいい気分になれそうな色の服を選ぶとか。主張を着るんじゃなくておもてなしを着る。そういうことに意識の向いた「ファッション」だって、もっとたくさんあっていいと思うのです。

complex.png

ちょっと前に、メインで使っているパソコンが起動しなくなったことがありました。症状としては電源スイッチを押してもウンともスンとも言わない状態。

BIOS画面(メーカー名とか表示される画面)までも到達できないので、これは完全に壊れたかなと思いつつ、色々チェックしてみたところ、どうやらマザーボードというパソコンの基板についている電池が切れていたようで、電池を交換してみたら無事起動しました。

作業しながら思ったのは、もしこういうことを自分ができなかったとしたらどうなるだろう、ということ。こんな事態にでくわしたら普通はPCメーカーのサポートセンターに連絡するなどして修理してもらうところでしょう。おそらく時間的にも金銭的にも結構な負担になっていたはずです。今回はたまたまPC自作の経験があって、たまたま問題が自分で解決できる範囲にあったから助かったものの、PC以外のものが壊れてたとしたら…。

考えてみると、身の回りには、いざ壊れたら自分ではどうしようもないものがあふれています。携帯電話にデジカメ、ビデオデッキ、洗濯機や冷蔵庫。とても便利なんだけど、 その中身や動作の原理などはまったくもってブラックボックス。

人の負担を減らしていくことが技術の進化の一つのカタチである以上は、複雑な部分はすべて隠蔽して、最低限の操作で最大限の結果が出る、というのは「正しい」とは思うのですが、なんというか、これでいいのか、と思う部分もあったりして。

たとえば包丁だったら、切れ味が悪くなってきたら研げばいい。椅子が壊れたらちょっとしたところなら自分で修理できます。それによってモノに対する理解も深まるし、うまく使う方法もわかってくるし、愛着も湧きます。

小さな頃、パンクした自転車を祖父に見せたら「どれどれ」とチューブを引っ張り出して、水につけて穴をみつけて、ゴムを貼ったりして修理してくれました。その様子を見て、じいちゃんすげーと思いながら自転車の仕組みをなんとなく把握し、次第に自分でも簡単なメンテナンス的なことをするようになり、1台の自転車をボロボロになるまで乗り潰したりしたものです。

そうやってメンテナンスをしながら一つのものを長く使うということを覚えるには、最近の道具はちょっと複雑すぎる、かもしれない。

壊れてしまったらどこか遠いところにいる人に修理を頼まなくてはいけない。もちろん修理してる様子も見られないし、どこをどう修理したのかも理解できない。そして修理代高かったり替え時だと思えば捨てて新しいものを買う。

この使い捨てな感じのモノに囲まれていると、モノをよく知ってメンテナンスしつつ長く使う、という感覚がちょっと鈍っていく気がします。そして、それが何となく、人と人との関係とか、時代の空気とかにもちょっとずつ反映されてきてるんじゃないか……というのは、さすがに考えすぎかな。