12:53写真を撮るということ

http://d.hatena.ne.jp/SNMR/20060427#p2
こちらの記事を読んで、全く論点は別なんだけどふと思った事。
前にこんな話を書こうと思ったことがある。
「ある男が自分の記憶すべき情報を全てコンピュータに保存できる、そんな機械を作った。そのシステムを使うことで、男は得た情報を全て記憶することができた。
記憶を引き出す事はいつでも簡単にできる。すぐに忘却してしまい、情報があいまいになっていく脳に格納するよりも格段に確実だ。男は記憶を全てその機械に頼るようになり、自らの脳に記憶を蓄積するのをやめた。
ある日その機械が壊れた。男は機械を直そうと思ったが、その直し方の記憶は、その機械の中にしかなかった」
人は色々な事を忘れる。時には今日食べたものをまともに思い出せないことすらある。それは仕方のない事だ。
ただ、今はその不安定な記憶を補う道具がたくさんある。知人の携帯電話番号はみな携帯電話の中に保存されていていつでも呼び出せる。明日の予定は手帳にある。誰かのメールアドレスはパソコンの中にあるし、過去は日記やBlogにも保存されている。
そうやって、記憶を外部に残すことで、日々忘却されていく情報を補ってきたわけだ。
写真はそんな「外部の記憶装置」のひとつ、でもある。
写真は四角く切り取られたひとつの過去の断片でしかない。でも、それを見た時に、その周囲にあったもの、話したこと、空気感といった、当時の記憶が鮮やかに蘇ることがある。
「人間は、得た情報を全て覚えている。覚えているのだが、それを思い出すための回路が失われていくために思い出す方法がなくなってしまう。それが「忘れる」ということだ」といった事を言っている学者がいた。
その失われた回路を蘇らせる手段として、「写真」というのはとても有効だと思う。
忘れてしまうような記憶など、重要なものではない。そういう見方もある。
だが、人間は「重要だ」と思ったことですら時折忘れてしまうのだ。
だからもしかしたら、本当に重要で大切にしたいと思える場であったなら、その場を写真に収めて、記憶を引っ張り出す道具として保存しておくということも、実はとても大切な事なのかもしれない。





