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2006/04Archive for

記憶

http://d.hatena.ne.jp/SNMR/20060427#p2

こちらの記事を読んで、全く論点は別なんだけどふと思った事。

前にこんな話を書こうと思ったことがある。

「ある男が自分の記憶すべき情報を全てコンピュータに保存できる、そんな機械を作った。そのシステムを使うことで、男は得た情報を全て記憶することができた。
記憶を引き出す事はいつでも簡単にできる。すぐに忘却してしまい、情報があいまいになっていく脳に格納するよりも格段に確実だ。男は記憶を全てその機械に頼るようになり、自らの脳に記憶を蓄積するのをやめた。
ある日その機械が壊れた。男は機械を直そうと思ったが、その直し方の記憶は、その機械の中にしかなかった」

人は色々な事を忘れる。時には今日食べたものをまともに思い出せないことすらある。それは仕方のない事だ。

ただ、今はその不安定な記憶を補う道具がたくさんある。知人の携帯電話番号はみな携帯電話の中に保存されていていつでも呼び出せる。明日の予定は手帳にある。誰かのメールアドレスはパソコンの中にあるし、過去は日記やBlogにも保存されている。
そうやって、記憶を外部に残すことで、日々忘却されていく情報を補ってきたわけだ。

写真はそんな「外部の記憶装置」のひとつ、でもある。
写真は四角く切り取られたひとつの過去の断片でしかない。でも、それを見た時に、その周囲にあったもの、話したこと、空気感といった、当時の記憶が鮮やかに蘇ることがある。

「人間は、得た情報を全て覚えている。覚えているのだが、それを思い出すための回路が失われていくために思い出す方法がなくなってしまう。それが「忘れる」ということだ」といった事を言っている学者がいた。
その失われた回路を蘇らせる手段として、「写真」というのはとても有効だと思う。

忘れてしまうような記憶など、重要なものではない。そういう見方もある。
だが、人間は「重要だ」と思ったことですら時折忘れてしまうのだ。

だからもしかしたら、本当に重要で大切にしたいと思える場であったなら、その場を写真に収めて、記憶を引っ張り出す道具として保存しておくということも、実はとても大切な事なのかもしれない。

question

ちょっとしたメモや情報の共有に便利かと思い、勤務先のサーバにPukiWikiを入れて、便利なんで他の人も使ってくださいと言ってみたら「とっつきにくい」「よくわからない」と言われて使われなかった。

「デザインに関わる事してるんだからこういう「とっつきにくさ」とかに敏感でなくちゃ」と言われたが、表層をさらりとなでただけで判断を停止させるという事はデザインに関わる事をする者としてどうかと思った。

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customize

Windowsは、とても使いにくい。インストールした最初の状態ではまったくひどい。
人をイライラさせるために設計したのではないかと思うような部分がある。緩慢な動作、余計なエフェクト。余計な警告表示。MSゴシック。

ただ、使う人が少し苦労すればその多くは解決できます。表示の余計なエフェクトは切ればいい。余計な警告は表示しないように設定すればいい。古いWindowsの表示スタイルがよければそちらを選ぶこともできる。足りない機能はフリーウェアで補えばいい。
Windowsに美点があるとすれば、そうやって徹底的にカスタマイズできる余地がある、ということだと思います(それをMicrosoftが企図してやったことではないとしても)

MacOSXは「よくデザインされた」OSです。ユーザの事をよく考えて設計されている。買ってきてすぐの状態でも、普通に使う分にはさほどイライラするような事はない。でも、それを少し「変えたい」と思ったときに、案外「無償で」「簡単に」カスタマイズできる余地の少ない事に気づきます。これは絶対的なユーザ数の少なさに起因する部分も多いのだと思いますが、しかし必ずしもそれだけの理由とはいえない。

Microsoftは意図してやっているわけではないようにも思いますが、Windowsのようにできるだけ多くの部分をユーザに委ねるというのも、場合によってはひとつの「デザイン」なのかもしれない。そんな事を考えます。

新

PCを新調しました。

起動するたびに爆音を鳴らしていた前のマシンと比べて、格段に静かで、性能もいい。新しいものというのは古いものがかかえていた色々な問題が解消されていて中々心地のいいものです。

でも、PCが新しくなれば当然また一から環境構築をしなくてはなりません。特に自分はパソコンを徹底的に快適になるようにカスタマイズする人間なのでこの手間が半端じゃない。平気で1日くらいはソフトのインストールや設定に費やされる。
この手間を考えると、中々おいそれとはPCのリプレースはできないなぁ、と思います。

「手になじんだ道具」というのは時にどんな新しい便利な道具よりも使い勝手がよかったりするもので、何でもかんでも「新しければいい」というものでもない。
そんな事を考えながら、また今もこうして色々な設定やソフトのインストールに追われているのでした。

target _blank

先日仕事で作ったサイトで「他のサイトへのリンクを新しいウィンドウで開くか、それとも同じウィンドウ上で開くか」という事をまた考える機会がありました。

「別サイトに移動した事がわかりやすいようにするという意味では新しいウィンドウで開いたほうがいい」「新しいウィンドウを開くのはマシンにとって負担になるので非力なマシンを使ってる人には優しくない」「新しいウィンドウで開くとジャンプ先から「戻る」ボタンで戻ってこれない」「慣習としてどっちかというと新しいウィンドウで開くほうが」「仕様上新しいウィンドウで開くのは推奨されてないし、事実XHTML1.0 Strictではtarget属性は削除されてる」と議論は尽きませんが、結局「絶対にこっちであるべき」という明快な指針を確定するところまではなかなかたどり着けない。どちらにも同じくらい利点があり、欠点がある。

Webサイトを作っているとこういう細かいことで「どっちがいいか」という問題が常につきまといます。文字サイズについての議論しかり。表示幅の問題しかり。

この手の問題の多くは、つきつめていくと、「ユーザが自身でできるだけコントロールできるようにする」のか、はたまた「作り手が気を回して、初期状態でできるだけ多くの「普通の人」にとって使いやすいように設定しておく」か、どちらがベターか、という問題になります。

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tokyo

今日は仕事の関係で埼玉へ。2時間ちかくも電車に揺られ、東武東上線の終点へ向かう。東京から離れるほど、駅と駅の距離は長くなり、電車の本数も減る。駅で次の電車を待つ時間も延び、すこしずつ時間がゆったりと流れるようになる。

電車に揺られるあまりに長い時間に愚痴りながら、一緒にいた社長がこんな事を言った。「最近移動に30分以上かかると『遠い』って感じるんだよな」

たとえば愛知の片田舎の実家にいた頃には、名古屋まで2時間近くかけて行くのは当たり前だった。それを『遠い』とはさほど思わなかった。むしろ2時間で着くんだから(京都とか東京に行くのと比べて)全然近いとさえ思っていた。

東京に暮らし始めて、自分も確かに電車で1時間以上かかる場所を「遠い」と感じるようになった。そこまで移動しなくとも、友人の家も、行きたい店も、博物館も、会社も何もかもある。少し移動すればそれぞれの個性を持った街があって、面白い店や面白い人がいる。東京はとても密度の高い街で、だから体感的な「距離感」が実際の移動距離よりも長く感じるのかもしれない。

zkdesign.jp Weblog 開始しました。
これまでに何度もblogを作っては、いい加減な記事を書いてきました。
確かに、思いつきのままにいい加減に書き散らせる場所というのも、自分にとって必要なものの一つです。ですがそれは別の場所で。ここでは「ただのメモ」「ただの日記」にならないよう、一つ一つの記事をできるだけ丁寧に書いていきたいと思っています。