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	<title>zk design / Weblog</title>
	<link>http://www.zkdesign.jp/blog</link>
	<description>blog of zkdesign.jp</description>
	<lastBuildDate>Thu, 25 Feb 2010 20:42:27 +0000</lastBuildDate>
	<docs>http://backend.userland.com/rss092</docs>
	<language>ja</language>
	
	<item>
		<title>&#8220;zk design&#8221; から &#8220;engawa&#8221;へ</title>
		<description>

年初のポストで「屋号を変える」と宣言してはや２ヶ月。。。ようやく準備も整い、屋号変更のお知らせです。

これまで"zk design"の屋号で活動してきましたが、今年から「engawa」と屋号を改めまして、再出発を図ることとあいなりました。

新しいサイトは http://en-gawa.net/ です。屋号の意味や目指すところなどは新しいサイトのBlogにて。

それでは今後とも、「engawaの山崎」を、どうぞよろしくお願いいたします！ </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=142</link>
			</item>
	<item>
		<title>新年のご挨拶</title>
		<description>あけましておめでとうございます。

唐突ですが今年から、屋号を新たにしようと企んでおります。
もうしばらくしたら新屋号でのサイトオープンして、このブログも完全に更新停止になる予定です。
長らく開店休業状態のこのブログでしたが、
これまでご覧いただきありがとうございました。

詳しい話は新しいサイトができたときに書こうと思うのですが、今年からのテーマは「境界をここちよく」。
今年からはユーザーインターフェースの設計や、情報コンテンツの制作、サービスづくりなど、何かと何かの「間」をうまく取り持ち、人を幸せにするような「何か」を作ることに集中していきたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=141</link>
			</item>
	<item>
		<title>A4</title>
		<description>新居の仕事部屋は、書類や本の整理に、A4のファイルボックスを全力で活用することにしました。

以前から使ってた無印良品の紙のファイルボックスと、それと同じ大きさの小物入れを使って、書類も本も小物も全部その箱に入れ、その箱を机の反対側の床にずらりと並べてあります。（本棚みたいな家具を一切買いたくないので床に直置きです）

で、困ったのが文庫本の扱い。A4のファイルボックスだと、文庫本がちょうど４分の１の大きさなので普通に並べようとすると奥に入りすぎてしまって微妙。かといって２列にしたりして、ぎっちり本を詰めると奥に何の本があるのかわからなくなる。

というわけで、↓こんなふうに文庫本を収納できるA4ファイルボックスサイズのミニ書棚が売ってないものかと思ったんですが、なかなかないものですね。



無印の紙のボックスシリーズで、こういうの作ってくれないかなぁ… </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=139</link>
			</item>
	<item>
		<title>本の大きさ</title>
		<description>引越後に本の整理をしていて、ふと思った事なのですが。

本の版型って、なんでこんなに色々あるんだろう、と。

たとえば、本の大きさが2,3種類くらいしかなかったとしたら、同じ大きさのものをいい加減に並べておくだけでも、並んだたたずまいはきっと整然と美しくなると思います。また、本棚や運ぶための段ボール箱、カバーなども規格化しやすくなるので、コストなどの面でも問題が少ないように思えます。

もちろん、内容によって適切な面の大きさっていうのはあると思うし、本の大きさで「あの本はあそこ」という認知の手助けにもなるし、ブックデザイナの仕事を否定するつもりもないのですが。でもなんでここまで多種多様な変形版とかが必要なのかな、ということはどうしても疑問に思ってしまうところです。

やはり、他の本と一緒にずらりと並んだときのたたずまい、というところまで、きちんと設計されていると美しいな、と、そんな勝手なことをふと考えた日曜でありました。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=138</link>
			</item>
	<item>
		<title>お引っ越し</title>
		<description>最近また引越をして、墨田区民になりました。

引越というのは、何かと色々な「気づき」を与えてくれる機会だな、と思います。

たとえば旧居で荷造りをしているとき、自分がどれほどいらないものを捨てずに残したままにしてしまっていたかということに気づかされたり。

前の引越のとき、何気なくものを置いたら、そこに置くことが必ずしもベストではないはずなのに、なぜかその位置で定着してしまっていた事に気づいたり。

たとえばもし、２０年同じ家に住んでいたとしたら、そんな些細なあれこれが降り積もって、色々大変な事になってしまうかもしれないんだなと思い、日々少しずつでも改善して維持していく事の大事さを妙に感じたりしました。

そういえばこのzk designという名前のサイトにも、ちょっと色々と「改善と維持」がうまくできてないところが出てきてしまったなと、ちょっと反省しています。そろそろ、”引越”の時期かな。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=137</link>
			</item>
	<item>
		<title>2009年</title>
		<description>新年あけましておめでとうございます。

思い返してみると、昨年はフリーランスになったり、勉強会で色々な人と知り合ったり、APMTで発表の機会をいただいたり、みっくみくにされて音楽制作熱を再燃させてみたりと色々変化があった年でした。

ほとんどこのBlogは開店休業状態でしたが…多分今年も多くは更新できない予感。
というのも、日々のちょっとしたことはtwitter等で流すほうがいいですし、それ以外のアウトプットはできるだけきちんとしたコンテンツとして出していきたいと思っているからです。

とにかく今年はきちんと作る→外に出すのサイクルを徹底的に回していきたい。
本業としての請負仕事は丁寧にご期待にお応えしつつ、個人としては今後の展開を睨んで色々とトライ＆エラーを繰り返せればと思ってます。

作りたいものとしてはやっぱり使う人、見る人を直接喜ばせることのできる「サービス」と「コンテンツ」。広告とかは少し控えめでいいかな、という感じ（そも そもそんなにやってないですが）。人を喜ばせてナンボ。人を喜ばせて初めて利益あり、というのを肝に銘じていきたいと思います。もし、サービスがらみで手 や頭の足りない時は、ぜひともお声かけください。全力でがんばります。

あと、去年痛感したのはやっぱり自分は音楽が好きだな、というこ と。なので音楽に関わるものには積極的に関わっていきたいと思っています。具体的にはVSTiとかWebでの音系コンテンツとか、フィジカルコンピュー ティング系の制作とか、あとは音楽（に限らず色々なデジタルコンテンツ）を作る人を支えるような道具やサービス、配信プラットホーム、収益化のためのアイ デアなんかも引き続き考えていくつもりです。

あと、某社の社長とお会いした時に、「雇用を生み出す」っていうのはすごいことだなと妙に実感したことがありました。だってそれで何人もの人の生活を支えてるわけですし。何かを一発当てる、的な発想じゃなくて、長く持続的に続けられるようなビジ ネスモデル、みたいなものの模索も開始したいと思っています。

昨年末の不景気でどこにどういう影響が出るかわからないところですが、お金のないときこそ頭と手を使うべき、という事を（あまりお金なかった）学生時代に学んだので、ここが頭の使いどころだし面白いところだと思ってます。

今年もzk designをどうぞよろしくお願いいたします！ </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=136</link>
			</item>
	<item>
		<title>Adobe デベロッパーセンターで記事を書かせていただきました。</title>
		<description>Adobeデベロッパーセンターで記事をかかせていただきました。

Flash Player 10で広がるFlashの音の世界

Spark project勉強会、APMT4にて発表させていただいた内容をまとめたものですので、どちらかのイベントに参加されてる方には目新しい内容はないですが…。

FlashPlyayer10は、音まわりだけじゃなくて3Dとか新しい文字組エンジンとかローカルファイルの読み書きとか、色々と可能性を広げてくれる機能追加がされていて、プラットホームとしてまた面白くなってきそう。リリースが楽しみです。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=134</link>
			</item>
	<item>
		<title>APMT4参加＆発表</title>
		<description>

8/31に九段下で開催されたAPMT4、参加してきました。

今回、自分でもびっくりなのですが、Adobeさんのプレゼン枠でFlashPlayer10の新機能使ったデモの発表などさせていただく機会をいただきまして、なんと発表者として参加。ちなみに発表した内容やソースコードなどについては技術的なこと書いてるはてなダイアリーのほうに記事アップしてますのでそちらをご覧ください。

…という背景もあって前半は発表の事で結構頭いっぱいだった（なにせ勉強会以外のこういう場での発表は初めてでしたし）のであまり集中して聞けなかったりしたのですが、さりとてやはり一線で活躍してる方々の発表はとても刺激的で興味深かったです。

個人的に特に印象深かったのはNorth Kingdomのお話。

ストックホルムからちょっと離れた田舎（？）町で、周辺のプロダクションと連携をとりながら広告を作るそのスタイルは「いいなぁ」と思ったし、プロジェクトの背景とかプロセスとか色々見られて刺激になった。そして何より印象的だったのが「design chapel」。メンバーの一人が、これまでやりたいと思ってたけどできてなかったあれこれ（「テキスタイル」とか「写真」とか）を実際にやってみる、という仕事外の個人プロジェクト。これがまた学び方が本格的で、最終的にきちんと「形」にしている。仕事であれだけのものを制作しながらもそれに満足せず「新しいことをどんどん学ぼうとする」っていう、その「姿勢」には本当に感服しました。

他の方々もそれぞれ独自の視点やこだわりが見えて、そのアイディア、アウトプットに、（こういうイベントに参加するといつも思うことですが）もっと何かよいものを作って外に出していきたいという思いを強くしました。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=130</link>
			</item>
	<item>
		<title>ディスプレイの裏に光を置くと</title>
		<description>

このところ少し体内時計が夜型に傾き気味で、夜中にPCをさわっていることが増えてきました。すると作業時間自体はそんなに変わっていないはずなんですが、どうも目が疲れる。どうしてかなと考えて思い至ったその原因が、PC回りの照明。

PC作業の場合、ディスプレイとその周囲の明るさに差があると疲れやすい、という話をどこかで見たことがあるのですが、なるほど確かに部屋の照明が少し暗めなので、ディスプレイの明るさと後ろの壁の明るさにかなりの差がある。

というわけで、照明を変更しようと思ったもののさてどうしようか。最初はZライトみたいな上から照らすデスクライトを検討したのですが、正直あまり見えるところにモノを増やしたくないし、Zライトとかああいった高さもあって調整のきく類のものはあまり安くもないし。何よりデスクライト的なもので上から照らされるのあまり好きじゃない。じゃあディスプレイと周囲の明るさを同じにするのであれば、ディスプレイの裏に照明器具置いて、壁を明るくしてみたらどうだろう。

ということで、Amazonで安い蛍光灯を探してディスプレイの後ろに置いてみたところ、これがなかなかもって悪くない。目の疲れも少し軽減した気がするし、それだけじゃなくてディスプレイまわりの雰囲気も少しよくなって、非常に快適です。

参考にさせていただいたページ：http://works1211.exblog.jp/2154455/ </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=129</link>
			</item>
	<item>
		<title>エレクトリカル・ファンタジスタ 2008</title>
		<description>

週末、ごはんとFlash2杯目に参加してきたのですが、せっかく横浜方面に行くのでということで、エレクトリカル・ファンタジスタ2008も見てきました。

個人的には岡田憲一さんの「エモートスコープ」、wowlabのPolarCandleと、松山淳一さんの作品が好きな感じでした。バスキュールさんのが何かうまく動いてなかった？っぽくてちゃんと遊べなかったのがちょっと残念。

一通り見てて思ったのが、自分はどうやら技術を駆使して「すごいでしょ？」「面白いでしょ？」的なことをするよりも、むしろテクノロジーは隠蔽しつつ普通の行動、普通のことを少しだけ拡張したりスパイス足したりするようなアプローチのほうが好きなんだなー、ということ。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=122</link>
			</item>
	<item>
		<title>鑑賞記5-6月</title>
		<description>書こう書こうと思っていたのにいつの間にかもう7月も後半。会社を辞めてフリーになってから、色々な展示を見に行く機会が少し増えたのですが、その鑑賞記です。



冒険王・横尾忠則

とにかく量がすごい。そして色彩感覚とか発想とか、色々な意味で圧倒されっぱなしでした。氏の絵画は見れば見るほど何か発見があって、こんなに終始にやにやしながら鑑賞できた展覧会っていうのも珍しいかも（笑

写植時代の色指定紙（っていうんですかね）なども公開されていて、DTP以前の印刷の世界をほんの少しだけ垣間見ることができた、というのも収穫でした。



森山大道写真展

以前から興味がありつつも、なかなかじっっくりと見る機会のなかった森山大道氏の写真。写真美術館で写真展が開催されてたので見に行きました。

「I:レトロスペクティブ」では、氏の撮影した写真が年代順に並べられていて、何となく「被写体との距離感」が時代時代で変化しているように感じられたのが興味深く思いました。最初は若々しい無遠慮さ、的に近く、迷いの時期には少し遠くなり、そしてまた近くなる。写真って、撮影した人本人はその作品の中には含まれないけど、被写体を通して写真家自身がやっぱりどこか表現されてるんだなぁ、なんてことをぼんやりと思ったりしました。

「II. ハワイ」のほうはかなり大きくプリントされて展示されてたんですが、個人的には氏の写真はなんとなくあまり大きくない方がしっくりくる印象があって、展示としてはちょっとだけうーん、という感じ。写真そのものは好きな感じではあったのですが。



バウハウス・デッサウ展

バウハウスの偉大さ、みたいなものは多少理解しているつもりではあったものの、いまいちその全貌というか具体的にどういう機関でどういう教育がされていたのか、みたいなところはよく知らなかったんですが、これを見て少しは理解も深まったかな、という気がします。

でも正直、展示を見るよりも買ってきた図録見ながら興味惹かれた部分はネットで調べたりとかしているほうがいいかもしれない、と思ってしまったり…。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=124</link>
			</item>
	<item>
		<title>カッコイイ服、オモシロイ服</title>
		<description>

以前、お茶を買いにコンビニへ向かう途中で、「企業戦士」と胸に書かれたＴシャツを着た人とすれ違ったことがありました。

別にスーツ姿でもなく、ほんの少しだけ太り気味の体に、堅気ではないなと思わせるようなセルフレームの黒ブチメガネ。ボサボサの髪。そのいかにもだらしなさそうな雰囲気と「企業戦士」という文字のギャップに、思わず笑ってしまいました。

個人的に、いわゆる「バカTシャツ」「オモシロTシャツ」「ネタ系Tシャツ」の類は好きで、たまに自分も作ったり着たりしています。

もちろん自分によく似合ったカッコイイ服を着たいとも思います。でもそういうのが時々自分でなんか嫌だな、と思うことがあります。それはなんでなんだろうな、と考えたときに思い至ったのは、「カッコイイ服」は「自己主張」っぽいかな、ということ。自分が他の人よりもカッコイイ人だと思われたい、自分の評価を高めたいがための道具としての服に思えてしまう。もちろんそれはそれでいいと思うし、カッコイイ服をかっこよく着こなしている人には憧れたりもします。するのだけど……なんかちょっとな、と思うこともあるわけで。

「オモシロイ服」にももちろん自己主張はあります。でも、それは相手に「オモシロイ」と思われて初めて成り立つ主張で、だからちょっとだけ「おもてなし」に近い空気感がある。見た人の「笑い」だったり、「今日さ、こんな変な服着た人を見てさ」という話のネタになるためだったり。そういう「誰かのシアワセ」的なものにも意識が向いている感じ。そういうところを「いいな」って思うのかもしれません。

「オモシロイ」に限らず、たとえば混み合った電車で、自分の服に触れた他の人にとってさわった感じが心地いい、とか。職場のみんながいい気分になれそうな色の服を選ぶとか。主張を着るんじゃなくておもてなしを着る。そういうことに意識の向いた「ファッション」だって、もっとたくさんあっていいと思うのです。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=59</link>
			</item>
	<item>
		<title>複雑なもの</title>
		<description>

ちょっと前に、メインで使っているパソコンが起動しなくなったことがありました。症状としては電源スイッチを押してもウンともスンとも言わない状態。

BIOS画面（メーカー名とか表示される画面）までも到達できないので、これは完全に壊れたかなと思いつつ、色々チェックしてみたところ、どうやらマザーボードというパソコンの基板についている電池が切れていたようで、電池を交換してみたら無事起動しました。

作業しながら思ったのは、もしこういうことを自分ができなかったとしたらどうなるだろう、ということ。こんな事態にでくわしたら普通はPCメーカーのサポートセンターに連絡するなどして修理してもらうところでしょう。おそらく時間的にも金銭的にも結構な負担になっていたはずです。今回はたまたまPC自作の経験があって、たまたま問題が自分で解決できる範囲にあったから助かったものの、PC以外のものが壊れてたとしたら…。

考えてみると、身の回りには、いざ壊れたら自分ではどうしようもないものがあふれています。携帯電話にデジカメ、ビデオデッキ、洗濯機や冷蔵庫。とても便利なんだけど、 その中身や動作の原理などはまったくもってブラックボックス。

人の負担を減らしていくことが技術の進化の一つのカタチである以上は、複雑な部分はすべて隠蔽して、最低限の操作で最大限の結果が出る、というのは「正しい」とは思うのですが、なんというか、これでいいのか、と思う部分もあったりして。

たとえば包丁だったら、切れ味が悪くなってきたら研げばいい。椅子が壊れたらちょっとしたところなら自分で修理できます。それによってモノに対する理解も深まるし、うまく使う方法もわかってくるし、愛着も湧きます。

小さな頃、パンクした自転車を祖父に見せたら「どれどれ」とチューブを引っ張り出して、水につけて穴をみつけて、ゴムを貼ったりして修理してくれました。その様子を見て、じいちゃんすげーと思いながら自転車の仕組みをなんとなく把握し、次第に自分でも簡単なメンテナンス的なことをするようになり、１台の自転車をボロボロになるまで乗り潰したりしたものです。

そうやってメンテナンスをしながら一つのものを長く使うということを覚えるには、最近の道具はちょっと複雑すぎる、かもしれない。

壊れてしまったらどこか遠いところにいる人に修理を頼まなくてはいけない。もちろん修理してる様子も見られないし、どこをどう修理したのかも理解できない。そして修理代高かったり替え時だと思えば捨てて新しいものを買う。

この使い捨てな感じのモノに囲まれていると、モノをよく知ってメンテナンスしつつ長く使う、という感覚がちょっと鈍っていく気がします。そして、それが何となく、人と人との関係とか、時代の空気とかにもちょっとずつ反映されてきてるんじゃないか……というのは、さすがに考えすぎかな。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=116</link>
			</item>
	<item>
		<title>読書記録2008年3月</title>
		<description>
柳宗理氏のエッセイ集。前半は「デザイン」についての鋭く真っ直ぐな意見。後半は民芸について。「デザイン」「美しさ」「アノニマスデザイン」など氏の強い意志が迫ってきて非常に刺激を受けた。


こちらはブルーノ・ムナーリという有名デザイナの本。前半で「デザイン」のプロセスを語り、後半はその実際の例。本当にいいものを作ろうとするなら時間はかかるものだしかけるべきだよね、本当に…。


同じくブルーノ・ムナーリ氏のこちらはどちらかというと「基礎」寄りな本。フォルム、テクスチャなど基本的なところから次第に発展させていく。


こちらもプロダクトデザイン寄りの本で、実際の道具の例をいくつもあげながら道具の進化について語る本。ちょっと事例集すぎて「アイディア」に結びつきにくいのが難点かも。


Blogをよく拝読している秋田道夫氏のインタビューが収録されているということで借りてみた本。他のデザイナの方々もそれぞれ色々な考えで日々ものづくりをしている様子が垣間見えてとても刺激的。


こちらはちょっと興味がわいて借りてみた、1920～30年代の国内のグラフィックデザインの様子をまとめた本。掲載されたグラフィックデザインには不思議なパワーが感じられる。今よりもずっと不自由な状況でもこれだけのことができるのに、今はコンピュータで何でもできるわりに進化が足りないんじゃないか、思考停止してないか、ということを考えざるを得ない。


こちらは言わずとしれた名著。読んだことなかったので。


「いい仕事」する人は何を考えてどう仕事をしているのか。インタビューと分析と。

なんかこうやって読んで記憶にのこっていく本をならべてみるだけでも、今自分がどうなりたいのかが透けて見えてきて面白い。「いいもの」作りたいなぁ…。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=114</link>
			</item>
	<item>
		<title>読書記録2008年1-2月</title>
		<description>このところ近所の図書館のおかげで読書量が増えてきてるので、備忘録として読書メモ。


「ファシリテーター」は会議などの場で場を活性化させていろいろな人の意見をうまく引き出し、まとめてよりよい方向に導く、といったようなことをする人（というと何か語弊がある気がする）。「ファシリテーター」を主人公に、色々なファシリテーションの技法や効果などをストーリー形式で解説。「ファシリテーション」は今後のいろいろな場面で必要になってくる技術/アイディアだと思うのでもちっと色々勉強してみたいかも。


プロジェクト管理に関する本。管理者が何を考えて動くべきか。


ちょっと古い本だけど、タイポグラフィの「面白さ」というものを再認識させてくれた。


いわゆる「geek」の考え方というかなんというか。そういう考え方に日頃わりとよく接しているせいなのか、前から気になってた割にはあまり印象に残らなかった。

田中一光の文字とデザイン (アート・テクニック・ナウ)

尊敬する田中一光氏の仕事に関する本。DTP以前のデザインの話はDTP以降の自分からすると興味深いことが結構ある。

図説 インフォメーショングラフィックス―情報をデザインするための法則と事例

情報をいかに表示して伝えるか、の事例と解説集。


タイトルが自己啓発本っぽくてすごく手に取りにくいのだけど、中身は楽観的だとどうなるかとか、どうして悲観的になるのか、どうしたら悲観的になりすぎないようになれるか、といったことが心理学的アプローチでもってわりとロジカルに書かれている本。自分みたいにやや鬱傾向のある人とか落ち込みやすい人には良い本だと思うのでお勧めしたい。


データ視覚化に関しての洋書。情報をどう扱ってどう視覚化するか、という考え方のところから解説がある上に、processingの実際のコードもついてて、情報の可視化とかそういうことに関心のある人にはためになると思う。


こちらは最近の集合知に関するプログラミング手法についての洋書。こちらも考え方含めての解説なのでためになる。サンプルコードはPythonだけどある程度プログラミングのことわかってれば普通に理解・応用できそう。


プロダクトデザイン方面の本。評価の高いプロダクトを取り上げて、そのデザインについての解説や、デザイナや周辺の人などへのインタビューなど。ちょっと「プロダクトデザイン業界」の内輪ノリな空気があってなじみきれない部分もあったけど、面白い話もいくつかあった。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=111</link>
			</item>
	<item>
		<title>柳宗理 エッセイ</title>
		<description>

たまたま図書館で見つけて読んだ「柳宗理 エッセイ」。氏の作るもののイメージから、なんとなく穏やかな語り口を想像していたら、前半の予想外に激しい語り口に驚かされた。もちろん語り口だけでなくて内容も鋭く、特に45ページからの「デザイン考」は、「デザイン」を仕事にする人間として色々と猛省させられる内容だった。
デザインの至上目的は、人類の用途の為にということである。
創造のないところに本当の意味のデザインはない。従って創造のないものは模倣であって、本当のデザインとは言い得ない。
デザインの創造とは、表面上のアピアランスの変化ではない。創意工夫をもって内部機構を改革することである。
デザインの形態美は、表面上のお化粧づくりからだけでは出て来ない。内部から滲み出たものである。
本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない。
こんな、 ある意味当たり前のようにも思えることが真っ直ぐに書かれていて、そのあたりまえと思えるような事が満足にできていないことに反省することしきり。

しかしプロダクトデザイン方面の「思想」は面白い。Webに生かせるノウハウもたくさんあるはずなのでもっと色々見聞きしてみたい。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=113</link>
			</item>
	<item>
		<title>クリエイティブ魂</title>
		<description>http://exp.zkdesign.jp/1024/book.png

このところプロダクトデザインやグラフィックデザイン、タイポグラフィなど、Webとはちょっとだけずれたデザイン系の本を図書館で借りてきては読んでいたりする。いろいろ読んでで強く再認識させられたのが、「ああ、デザインってこういう創造的で刺激的な行為なんだよな」っていうこと。最近こういう直球の「クリエイティブ魂」みたいなマインドが薄れている気がする。

で、そういったいろいろなものに刺激を受けたこと、そしてこのところ「図書館で借りて本を読む」という事をよくするようになったおかげで、「本を読む」という行為についてふと思ったことがあり、試しに↑みたいな形に仕立て上げてみた。

＃で、作りながら思ったこと。たとえばBlogという形式に収まっている限り、同じ文章でもこの画像のような表現は難しい。BlogにはBlogなりの便利さや創造性というのはあるけれど、Blogという形式をベースに考えているからこそ発揮できていない何か、というのもかなりあるんだろうなぁ……。しばらくBlogという形式に収まりきらないBlog、というのを目指してみようかな。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=112</link>
			</item>
	<item>
		<title>design=设计</title>
		<description>以前彼女が台湾に行ったときに買ってきてくれた本のタイトルが「设计東京」だった。中身は東京の建築デザインについての本。

その後中国のサイトなど見ていると、中国語圏ではどうやら「design」を「设计」と翻訳するらしい、というのがわかってきて、これは面白いな、と思った。（たとえばプロダクトデザインは「产品设计」となるらしい）

「design」という言葉は日本だと、訳語に「意匠」や「図案」が含まれることも示すとおり、「カタチ」とか「見た目」のほうに若干フォーカスが強くあたっているニュアンスがある。

でも、「design」に関わる行為や言葉の使われ方を考えてみると、訳語としては「設計」の方がどちらかというと腑に落ちる。

例えば「ソフトウェアデザイン」とか「デザインパターン」とかも「ソフトウェア設計」「設計パターン」と訳せばそんなに違和感がない。逆に「ソフトウェアの見た目」とか「見た目のパターン」では全く別物になってしまう。

この視点で見つめなおしてみると、いわゆる「エンジニア」だって「デザイナー」じゃん、と思ったりもする。設計するものが「視覚的要素」なのか「システム的要素」なのか、という違いはあれど、「設計して作る」という行為自体は同じだから。

以前から、何でこんなにもいわゆる「デザイナー」と「エンジニア」の間に変な溝みたいなものがあるのか、と思ってたのだけど、もしかしたら「デザイン」という言葉の理解の問題もあるのかもしれない。たとえば「Webサイトを設計しましょう」だったらエンジニアの参加が必要そうだけど、「Webサイトをデザインしましょう」だとなんだかエンジニアの参加の余地がなさそうに見えるこの不思議さ。

だから、デザイナ＝ビジュアルエンジニアとか、エンジニア＝システムデザイナー、みたいな感じで、肩書きを同じレベルにしたら目的を同じくして協働する感じが出ないだろうか、なんていうことをふと思ったりした。

また、適切な翻訳、というのは理解を共有する上で大事だなぁ、とういことも同時に思った。そういう意味で、外来語をそのままカタカナ語にして定着させてしまう日本語という言葉の言語「設計」は、ちょっと難アリなのかもしれない。

参考：视觉中国 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=110</link>
			</item>
	<item>
		<title>ただの日記</title>
		<description>----

二人暮しになって、冷蔵庫がちょっと小さく感じるようになったので冷蔵庫を見てきた。

色々見ていると、名のある企業が出しているものの中にも普通に、あきらかにデザインに失敗している例、というのがあった。一つはこの三菱のものだったと思うけど、上の扉を開けるための取っ手が扉の一番下についていて、それが結構目立つ色になっている。そこまではいいんだけど、目立つがゆえに下の段の引き出しを開けるための取っ手と混同してしまい、引き出しをあけようとしたらなぜか上の扉を開けてしまう、というもの。もう一つは日立ので、上の扉の真ん中に色々な表示が縦に入っていて、どう見ても見た感じ観音開きタイプのものかと思いきや、あけてみたら普通の方側が開くものだった、というもの。

双方ともに、「見た目」と「その実」が正しく対応していない感じで、使う上でミスを誘発しそうな外見。「誰のためのデザイン？」という本で、「人が何かのミスをする場合、ミスをするのは人が悪いのではなく道具、モノが悪い」という話があったけれども、まさしくそんな感じ。

一方で、たまたま見た無印良品の冷蔵庫はちょっと面白く、上の扉を開けると一番下が透明のプラスチック板になっていて、下の引き出しの段（野菜室）に入っているものが自然と目に入るようになっていた。例えば「今晩のメニュー何にしようか」と冷蔵庫を空けて食材を見る場合、とか、これが便利に使えそうそなシーン、というのがぱっと見ただけで思い浮かんだ。

すぐれたテクノロジーを駆使した機能とか、カタログスペック的な部分より、こういう目立たないベーシックな部分に手やアイデアが行き届いている、というのを最近「いいなぁ」とよく思う。もちろん、「商売」としてはカタログスペック的なもの、目立つ機能のほうが「ウケ」がいいのでそこを頑張るというのはわかるのだけれども。

＃そして上のリンクを探すためにメーカーの冷蔵庫サイトを見て思ったこと。白物家電の掲載されたサイトは、なんでここまでモノの写真とか少ないんだろう。どこを見てもメーカーのサイトに載ってるモノ撮りのプロが撮った行儀のいい写真がそのまま掲載されるばかりで、実際に使った場合にどうなるか、のイメージがまったくわかないものばかり。多分、白物家電を独自の視点で「この冷蔵庫はここがよい」とか「ここが悪い」とか、実際にキッチンに置いてみたイメージとか、写真をたくさん交えつつ、実際に使う時をイメージさせるような例をいくつも挙げつつ紹介している家電販売サイトがあったら見てみたくなると思う。（というよりも、なぜそれをメーカーのWebサイトでやらないのか、というのが非常に疑問ではある）

そしてよく思い出してみると、「この冷蔵庫がすごい」とか、「白物家電」的なものを大きく扱ったメディアってインターネット上であまり見かけた記憶がないな、と。PCとかデジタルガジェットの情報はこんなにも過剰なくらい流通してるのに。いや、単に自分が知らないだけかもしれないけど。

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帰りに乗った電車、なぜか車内に一枚も広告が掲載されていなかった。普段押し付けがましくギトギトとした広告がある状態に見慣れていると、広告がない、というのもそれはそれで淋しい感じもする。実際、車体の金属感が強くでた車内は何となく無骨で素っ気無くて冷たい感じだった。

ただ、たとえばそこに一枚だけ広告があって、「商品、情報、そんなものより、少しだけ家族のこと考えてみませんか？　○○○○（企業名）」みたいになってたらどうだろう、どう思うだろう、ということを思った。広告を全て消すために広告枠を全て買う。そういう「押す」のではなくて「引く」広告というのはどうだろうか、とふと思った。

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そして最寄り駅について、ファミレス的な店で晩御飯。そこでセルフサービスの水を注ぐときにまたささやかな思いつき。そこではドリンクバー的なところに、テーブルに水の入ったポットが三つ並んでいて、自由に水が入れられる。

そこでその三つのポットのどれを選んだか、が簡単な心理テストになってて、それを食事相手との話のネタにできたら面白そうだな、とか。最近そんなことばっかり考えてる気がする。

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翌日、近所のクリーニング屋を探そうとしてネットを検索してみたのだけど、とりあえず近所のクリーニング屋の場所はなんとなくわかったが定休日や営業時間についての情報がさっぱりみつからない。一番知りたいのはそこなのに。情報がたくさん流通しているはずのインターネットには、思いのほか情報がない。

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最近は図書館でよく本を予約して借りているのだけど、図書館のWebサイトのシステムはやはりちょっとだけ古い臭い感じ。でも、よく考えてみると図書館の貸し借りのデータって、相当魅力的なデータだと思う。ネット好きな人に毒されたAmazonのデータベースよりも、もう少しだけ一般的な「関心」が溜まっている気がする。あれで「この本を借りた人は、 こんな本も借りています」みたいなAmazon的な情報が得られたら、それなりに面白い事が起こる気がする。

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最近強く思うのは、今現在インターネット上にある情報は、やはりインターネットに触れる機会の多い人のための情報ばかりで、ふとそういった人の興味・関心から少しでもずれた情報を探そうとしたときには、情報は非常に見つかりにくいということ。特に、白物家電にしてもクリーニングにしても、どちらかというと主婦層が必要とするのに近いジャンルだと、ネットにある情報なんて、まだまだ大した事ない気がしてしょうがない。

地球の裏側で発表された最新のデジタルガジェットの情報はすぐに得られるのに、近所のクリーニング屋の営業時間すらロクに調べられないというこの情報のムラ。この辺にインターネットに欠けた、必要とされるサービス等の何かしらのヒントがある気がする。それとももしかして、携帯サイトとかだったらすでに色々情報があったりするのかもしれないけど。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=109</link>
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		<title>ゴミ分別のシステムデザイン</title>
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先日調布に引越しました。（※近くの方遊んでくださいー）

板橋から調布に引越ししてきて面白いと思ったのがゴミ分別収集の仕組み。

調布市では「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」「プラスチックごみ」「布」「紙」など結構細かくごみを分別収集してます。

参考→ http://chofu.com/web/gomi/bunbetsu.html

で、「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」については必ず市の指定したごみ袋（有料でちょっと高い）を使って捨てないといけない。

で、面白いのが、上記「燃やせるごみ」「燃やさないごみ」以外の、きちんと分別したものについては無料で回収してくれるという点。

つまり、「ちゃんと分別したもの」は無料で回収、それ以外のものは有料回収、といった仕組みになっている。なのできちんと分別して、「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」にせざるをえないものを減らせば減らすほど、余計なお金がかからない、というわけ。

これなら市民としては分別しようといういい動機づけになるし、もちろん面倒だからと分別しないで全部「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」として捨てる人もいるでしょうが、その場合はちゃんと処理代が集められるので市としては問題ないわけです。

任天堂の宮本茂氏が       「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」とおっしゃっていたそうですが、これはまさしく「複数の問題を一気に解決する仕組み」だなぁと感心しながら、新居の片付けに追われているのでした。 </description>
		<link>http://www.zkdesign.jp/blog/?p=107</link>
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