Categories

Archives

Search

Links

DesignArchive for the Category

8/31に九段下で開催されたAPMT4、参加してきました。

今回、自分でもびっくりなのですが、Adobeさんのプレゼン枠でFlashPlayer10の新機能使ったデモの発表などさせていただく機会をいただきまして、なんと発表者として参加。ちなみに発表した内容やソースコードなどについては技術的なこと書いてるはてなダイアリーのほうに記事アップしてますのでそちらをご覧ください。

…という背景もあって前半は発表の事で結構頭いっぱいだった(なにせ勉強会以外のこういう場での発表は初めてでしたし)のであまり集中して聞けなかったりしたのですが、さりとてやはり一線で活躍してる方々の発表はとても刺激的で興味深かったです。

個人的に特に印象深かったのはNorth Kingdomのお話。

ストックホルムからちょっと離れた田舎(?)町で、周辺のプロダクションと連携をとりながら広告を作るそのスタイルは「いいなぁ」と思ったし、プロジェクトの背景とかプロセスとか色々見られて刺激になった。そして何より印象的だったのが「design chapel」。メンバーの一人が、これまでやりたいと思ってたけどできてなかったあれこれ(「テキスタイル」とか「写真」とか)を実際にやってみる、という仕事外の個人プロジェクト。これがまた学び方が本格的で、最終的にきちんと「形」にしている。仕事であれだけのものを制作しながらもそれに満足せず「新しいことをどんどん学ぼうとする」っていう、その「姿勢」には本当に感服しました。

他の方々もそれぞれ独自の視点やこだわりが見えて、そのアイディア、アウトプットに、(こういうイベントに参加するといつも思うことですが)もっと何かよいものを作って外に出していきたいという思いを強くしました。

whatdoyouwannawear.png

以前、お茶を買いにコンビニへ向かう途中で、「企業戦士」と胸に書かれたTシャツを着た人とすれ違ったことがありました。

別にスーツ姿でもなく、ほんの少しだけ太り気味の体に、堅気ではないなと思わせるようなセルフレームの黒ブチメガネ。ボサボサの髪。そのいかにもだらしなさそうな雰囲気と「企業戦士」という文字のギャップに、思わず笑ってしまいました。

個人的に、いわゆる「バカTシャツ」「オモシロTシャツ」「ネタ系Tシャツ」の類は好きで、たまに自分も作ったり着たりしています。

もちろん自分によく似合ったカッコイイ服を着たいとも思います。でもそういうのが時々自分でなんか嫌だな、と思うことがあります。それはなんでなんだろうな、と考えたときに思い至ったのは、「カッコイイ服」は「自己主張」っぽいかな、ということ。自分が他の人よりもカッコイイ人だと思われたい、自分の評価を高めたいがための道具としての服に思えてしまう。もちろんそれはそれでいいと思うし、カッコイイ服をかっこよく着こなしている人には憧れたりもします。するのだけど……なんかちょっとな、と思うこともあるわけで。

「オモシロイ服」にももちろん自己主張はあります。でも、それは相手に「オモシロイ」と思われて初めて成り立つ主張で、だからちょっとだけ「おもてなし」に近い空気感がある。見た人の「笑い」だったり、「今日さ、こんな変な服着た人を見てさ」という話のネタになるためだったり。そういう「誰かのシアワセ」的なものにも意識が向いている感じ。そういうところを「いいな」って思うのかもしれません。

「オモシロイ」に限らず、たとえば混み合った電車で、自分の服に触れた他の人にとってさわった感じが心地いい、とか。職場のみんながいい気分になれそうな色の服を選ぶとか。主張を着るんじゃなくておもてなしを着る。そういうことに意識の向いた「ファッション」だって、もっとたくさんあっていいと思うのです。

061024_type.jpg

TOKYO TDC主催 小林章氏のセミナーに行ってきました。

話の内容としては「欧文書体―その背景と使い方」の本に書かれてる内容とカブる部分も多かったですが、葛西薫氏とのサントリーのCIの話や実際の制作手順の一部など、滅多に聞けない内容も多くとても刺激的な時間でした。

指示を完璧に送ってくるツァップ氏と、大まかな指示がくるので逆に自分から提案して選んでもらうようにするフルティガー氏、という共同作業についての進め方の違いの話などはかなり面白かったです。何より第一線で活躍しているタイプデザイナーの実際の作業の様子が少しでも垣間見れて、かなりテンション上がりました。

話の中で一番驚かされたのは書体の制作に1年2年という時間がかかっていること。欧文書体の場合は、文字数も和文書体よりは少ないので、そこまで時間かからないだろうと思ってたんですが…。OpenTypeになって色んなグリフ(←この言葉もようやく正しい意味が把握できた)が収録できるようになったのもあり、様々な場面で使い勝手のいいように、と作っていくとそれくらいはかかるそうです。カーニングペアの設定が7000以上とか、気の遠くなるような数字に唖然。

あと、今後いずれは書体制作にもチャレンジしたいと思っているので、

「フォントの制作工程のうち、文字のカタチを作るのは半分。あとの半分はスペーシングの調整」
「どれだけ文字のカタチが綺麗にできていても、スペーシングがちゃんとできていないと全然ダメ」
「ある学校でフォントを作る授業をしてて、作品を見る機会があった。ある生徒の作ったものが、明らかにカタチはダメな書体だったのに、スペーシングの設定がよかったので実際に文章を打ったものをみたら他の”ずっとカタチの綺麗な”ものよりもよかった。それほどにスペーシングの設定は重要」

そんな言葉も非常にためになりました。

060829_cando.gif

先日、彼女が仕事関係で名古屋に行くことになり、ホテルの予約などの手伝いをしていました。
自分は愛知県出身なので、名古屋名古屋聞いているうちに愛知カルチャー(?)が無性に恋しくなり、高田馬場のすがきや(※東海地方を中心に展開しているラーメンチェーン。東京では高田馬場にしかない)に駆け込みました。

すがきや店内は松屋とか吉野家のようなカウンター式で、二席にひとつくらいの割合で、セルフサービスで水を注げるように、氷水の入ったポットが置かれていました。そこでふと、置いてあるポットの取っ手の部分が、みんな綺麗にお客さんの座っている方向を向いていることに気づいたわけです。

Read the rest of this entry »

060820_both_ok.gif

昨年末に引っ越してから、通勤の際に回数券を使って地下鉄に乗っています。
駅の券売機で回数券を買うには、普段切符を買うのとは少しだけ違う手順が必要になります。「普段と少し違う事」をやると普段気づかない事に気づくもので、そこでふと気づいたのですが、東京メトロの券売機には新旧2タイプあり、少しだけ買うときの手順が違っています。

古いほうは、お金を入れると順に購入できる切符のボタンが点灯していって購入する、というよくあるタイプ。つまりこちらはお金を入れないと一切切符が購入できません。
新しいものだと、上記のやり方に加えて、お金を入れる前に購入する切符のボタンを先に押して、「買う切符を確定させてからお金を入れる」という買い方もできるようになっています。

これがなかなか「いいなぁ」と思ったわけです。

普段スーパーなどで買い物をするときは、私たちは「商品を選ぶ→金額提示→支払い」という手順で買い物をしています。どちらかというとそちらの手順のほうが馴染み深い。新しい券売機で追加された買い方は、こちらの買い方に近い。
でも昔から「お金を入れてから買う切符を選ぶ」という買い方に慣れてもいる。どっちが悪いわけでもなく買い方の手順としては「どっちもいい」のです。

以前書いたエントリーとは少し矛盾するようですが、ユーザにとってどちらから始めるのも利点がある二つのやり方があって、その「どちらから始めてもいい」ということ、そして「どちらから始めても違和感がない」ということ。これがうまい具合に両立している最近の券売機。

こういう何気ない「使いやすさ」をWeb方面にも色々と取り入れられたらな、と思います。

staple

日ごろ、本当にある意味どうでもいい、もの凄い些細な事で考え込んでしまう事がある。

例えば先日、会社で社内向けの資料を作った時、それが数枚にわたるものになってしまった。そこではたと考える。これはホッチキスで止めるべきなのか、それともこのまま止めずにクリアケースか何かに入れるか。それとも書類をまとめるときによく使われるクリップでとめるか。
一応ページ番号は入っているので、バラけてしまっても、ページの順序はまあ分からなくなる心配はない。でもバラけたものをページ番号見てなおすのも手間だ。順序を大事にするならとまっていたほうがいいのかもしれない。
でもホッチキスでとめてしまうとすれば、例えば説明中に前にもどったり、ページが飛んだときにアクセスが悪い。資料の中に複数のアイディアがあって、それを並べて検討するなんていう場合にも一覧性の部分で問題がある。でもまあ、別にバラしたい人はホッチキスでとまっていようが勝手にばらすかな。まあ多分クリップが一番スマートなんだろうけど、コストパフォーマンス的にどうなんだろうなぁ、とか。

考え出すとキリがない。で、「資料の内容だとか参加者とかに合わせてそのつど考えるしかない」といういつもの結論に達する。 結局、どんな場面においても最適解となる、そんな便利な解答なんて、そうそう滅多にあるもんじゃない。だからこそ多分デザインとかそういう分野は面白いんだと思う。

confuse
店舗検索のためのインターフェース、というのを仕事で考えている。

お店の検索の場合、「お店の住所」「場所」「最寄駅」「取り扱い商品」「サービス内容」「営業時間」「内装の雰囲気」「サービスの価格」「評判」「家からそこまで行くのにかかる時間」「周囲にある施設」など、色んな切り口で条件付けして検索してもらうことが考えられる。
一体使う人はどういう切り口で検索したいか。どういう検索の仕方だとすんなりと目的のものを見つけてもらえるか。

ひとまず色々な条件があるし、探しに来る人の目的も必ずしも全て同じというわけではない。単に店の営業時間を知りたいだけの人もいるだろうし、店の位置を詳細に知りたい人もいるだろう。そんな感じでバラバラだから、じゃあ全部をカバーするために、ありとあらゆる検索方法や切り口を全部導入しようか。そうすればみんな問題なく使えるよね。

一番素直に考えるとこうなるのかもしれない。でも、実際のところは「全ての検索手段」を提供すれば使いやすいものになるかというと、そんな事は全くありえない。

Read the rest of this entry »

art and design

前の記事のシンポジウムのテーマが、「テクノガジェットはアートになるか」だった。
話を聞いていて思ったのは、とにかく「アート」という言葉の定義を明確にしてほしい、ということだった。これはまあ自分が大学時代に哲学なんていうものをかじったせいで、言葉の「定義」というものに必要以上に敏感になっているせいもあるのだけど。
「デザイン」も「アート」も、どちらの言葉もかなり広い領域をさす言葉になってしまっている現状では、その二つの境界もかなり曖昧になってきているように思う。

ただ、自分は「デザインする」という事を生業の一部にしている関係もあって、「デザイン」と「アート」というものの区別だけは自分なりに整理している。明快に「コレ」という基準点があるわけでもないのだけど、自分の中ではおおよそこんな区分になっている。

作る人間の内側に理由があるのがアート
作る人間の外側に理由があるのがデザイン
「そうしたい」のがアート
「そうあるべき」なのがデザイン
衝動に近いのがアート
理性に近いのがデザイン
説明できなくていいのがアート
説明できなくてはいけないのがデザイン

つまり、「誰かのために(場合によっては自分のためでも)」「何らかの目的意識をはっきりと持って」最善を尽くすのがデザインで、「誰かのためというわけでもなく」「欲求に正しく従って」できてしまったのがアート、だというのが自分の自分なりの定義。
だからよく目にする(そして自分も時折やってしまう)「自己満足的な『デザイン』」とか「目的意識の透けて見える『アート』」とかいったものには不満を感じる事が多い。

もう一ヶ月ほど前の話になるけれど、日本科学未来館でやっていた「予感研究所」イベント内で開催された「デバイスアート・シンポジューム」で、アーティストの児玉幸子さんがこんな事を言っていた。
『UIデザインの本をいくつか読んだ。使い勝手の向上のためのことはいくつも書いてあったけど、ユーザを感動させるということについて書いた本はなかった』

UIといえばまず「ユーザを迷わせない」「ユーザが機器の持つ機能をストレスなく活用できる」ということを考え、それを中心に設計するものだ、と考える。だからまず「使い勝手」だとか「能率」「効率」だとかいった事が最優先で頭に思い浮かぶ。UIで「人を感動させる」とか、UIと「感動」というものを結びつけるという事は自分なんかにはなかなか「出てこない」発想で、そこがとても「面白い」と感じた。

じゃあ感動させるUIっていうのはどんなものだろう。
触れている事が快感だとか、触れる事にドキドキできるとか、使っているという体験が二度と忘れられないほど印象的だとか、これまでに感じたことのない感触だとか、使いやすさが極みを一歩越えてUIと操作が一体化しているとか、肉体とUIとの境界がもはや曖昧だとか、UIであるのにすでにUIですらないとか……。

こうやって何となく「それっぽいもの」を並べてみるのは簡単だけど、それを実際に現実まで落とし込む事は容易なことじゃない。

でも、もし使う事が「感動」につながるような、そんなデザインだとかUIだとかを作る事ができたなら、それは「もっと使いたい」と思わせることができる、という意味ではビジネスチャンスにだって十分になりうる。そう考えてみると、これはもっと熱心に取り組んでいいテーマなのかもしれない。いや、それ以前にそんなUIがありうるなら、自分が何よりもまず「使ってみたい」。
今後作っていくものに、ほんの少しずつでもそんな要素を織り込んでいけたら、と思う。

question

ちょっとしたメモや情報の共有に便利かと思い、勤務先のサーバにPukiWikiを入れて、便利なんで他の人も使ってくださいと言ってみたら「とっつきにくい」「よくわからない」と言われて使われなかった。

「デザインに関わる事してるんだからこういう「とっつきにくさ」とかに敏感でなくちゃ」と言われたが、表層をさらりとなでただけで判断を停止させるという事はデザインに関わる事をする者としてどうかと思った。

Read the rest of this entry »